「先輩に聞いてみよう」第二弾 2012年6月1日~7月29日の会期で東京国立近代美術館「写真の現在4」に出品されている1994年度ビジュアルアーツ・大阪校写真学科卒業、有元伸也さんに写真学科講師、百々 武がインタビューしました。


有元さんが写真と出会った最初のきっかけを教えてください。

有元 小さい頃から絵を描いたりモノを作ったりするのが好きだったので、高校生にもなると自然と美大を志すようになりました。しかし受験用のデッサンなどは一向に身に入らず、息抜きで訪れた県立図書館でたまたま手に取ったのが内藤正敏さんの「東京」でした。奈良の片田舎の少年が抱いていた、東京に対する憧れや概念を完膚なきまでに打ち砕く、その写真の力に圧倒されました。

最初の内藤正敏さん「東京」との出会いが現在、東京新宿界隈を撮影されていることと繋がっているのでしょうか。 話が前後しますが、写真を学ぶため学校に入学されたのでしょうか?

有元 内藤さんは東京という都市の中に、江戸という町の成り立ちや民族学的見解を重ね合わせて作品をつくられました。僕自身も東京という町で生活し撮影している訳ですが、自分なりの見解を作品に込めてゆきたいと思っています。

学校に入学する以前はコマーシャルスタジオに勤務していて、そこでカメラのこと、光の性質やライティング技法、暗室技術の基礎は叩き込まれていたので、学校では技術的なことよりもむしろ体験的なことを学びたいと思っていました。 作品を見せ合ったり、それについて真剣に話ができる友人や、的確なアドバイスをいただける先生方と出会えたことが一番の勉強となりました。

在学中に一番印象に残っていることは何ですか。

有元 とても充実した二年間だったので全てが印象的だったといえます。そのなかでも同級生の有志で小冊子を編集、発行していたことは強く記憶に残っています。それと卒業制作の為に日本全国を訪れたことなど、やはり全てが印象的ですね。

冊子は定期的に刊行されていたのですか。

有元 一年間で四号発行しましたが、その後は有志それぞれが卒業制作に没頭しはじめたので、前向きに解散しました。

卒業制作のため訪れた日本列島の撮影旅行は、どのような切っかけからはじまったのでしょうか?

有元 きっかけは韓国からの留学生のクラスメイトとの会話でした。彼は普段から我々日本人が、自分のことを「日本人」と言ったり、自分の国の事を「日本」と客観的に呼んだりするのに違和感を持っていたようでした。そのことを打ち明けられた際「では韓国人は自分の国の事をなんと呼ぶのか?」という僕の問いかけに対して、彼は誇らしげに「ウリナラ(我が国)」といいました。その言葉を聞いてから、僕の中に「自分はこの国の事を〈我が国〉と言えるのか?」という疑問がわき起こり、やがてそれが日本全国への旅という行動へと至りました。




沖縄から北海道まで一度の旅で巡られたのでしょうか。また、旅のなかで、人や風景との出会いは、有元さんにどのように映りましたか。

有元 大阪から北海道までの行程と、沖縄までの行程を分けて行いました。また北海道へは夏と冬の二度訪れています。 空路を一度も使わなかったので、単純にこの国は地図で見るよりも存外に広いと感じました。そして地形や気候、文化や方言、人間の多様性を強く実感しました。 当時の僕と同年代の二十歳ぐらいの青年が方言を使っている、そんな当たり前の事にもいちいち感動していました。自分も関西弁を話しているわけですが。




卒業後はどのような進路を選択されたのでしょうか。

有元 卒業後は作家活動に専念したかったので就職はせずに日雇いのアルバイトをしていました。撮影の為にお金を稼いでいた感じですね。

卒業後、すぐにインド、チベットへ撮影にむかったのですか?

有元 卒業してすぐ、ガーディアンガーデンギャラリーの「人間の街」というコンペティションに入選して個展を開催することができました。そのときに来場した写真家の方にインド行きを勧められたのがきっかけです。 卒業後に海外に撮影に行きたいという気持ちはもともとありましたし、卒業制作で自分の国をテーマにしていた理由の一つに、海外に行く前に自分の国をしっかりと見て自分なりの認識を持っていたいという事もあったので、その進言には背中を押された気分でした。

インドでは何が待っていましたか。またインド各地を巡られたのでしょうか。

有元 先述通り初めての海外だったので、見るもの触れるもの全てが新鮮でした。その中でも、すぐ身近なところに生と死が表裏一体となって存在していることに驚きを隠せなかったです。 その時の旅ではカルカッタからプーリー、ブッタガヤ、バラナシと主に北インドを巡り、そのまま国境を越えてネパールへと向かいました。



1995年インドの人口は約5億3400万人!むき出しの人間の営みが広がっていたいたように思います。
一日フィルムを何本くらい撮影されたのでしょうか。

有元 まず旅の移動の事を考えると持って歩けるフィルムは200本ぐらい、滞在日数が多くなるほどに相対的に一日に使用できるフィルムは少なくなります。 なのでフィルムを節約しながら使っていました。一日あたり3本ぐらいをじっくりと撮影する感じでしたね。


その200本のフィルムが盗難に遭ったのでしょうか。

有元 はい。僕の油断が招いた事故なのですが、国境のバスターミナルで全てのフィルムが入ったバックパックごと盗難されてしまいました。
インドで撮影した写真はほとんどが見る事も見られる事もなく消えてなくなってしまいました。そのときの旅行で残ったのは事前に船便で日本に送っていたカルカッタで撮影した50本程度と、盗難事故後にネパールで撮影したフィルムのみです。これらの写真もその後十年以上未発表のままでした。

旅先で撮影済みのフィルムを失う。喪失と虚無が襲ってくるような。
その後、ネパールでの撮影は、いかがでしたか。

有元 たしかに。喪失感と虚無感の中で夢遊病患者のようにフラフラと、意志を持たずに漂うように街を歩いて撮影していました。
手応えというか、写真を撮っているという実感はほとんど持てずにシャッターだけを押しているようでした。
しかしそんな中でもあるチベット人の家族との出会いがあり、その出会いが次回作への構想へと繋がっていったので、決して無駄な出来事ではなかったようです。

インドにはチベット亡命政府があり、たくさんのチベット人居住区があります。ネパールにもチベット人居住区があり、またそれとは別に、非合法に国境を出入りする巡礼者や商人も存在しています。僕が出会った家族もそのような人達で、カトマンズのチベット寺院に身を寄せていました。僕はその家族の父親に石に真言を彫る方法を教えてもらったり、まだ幼い息子と娘の遊び相手となったりして日々を過ごしていました。言葉はほとんど通じていませんでしたが、なぜか言葉以外の部分で意志が通じているような、それは不思議でもあり、充実した時間の中の貴重な体験となりました。

その体験から、チベットへの旅がはじまったのでしょうか。

有元 はい。その時に感じたチベット人の人間性に強く引かれたのがきっかけとなりました。
その後僕は不摂生かつ不衛生な生活から肝炎を発症し、一月近くネパールの病院に入院することとなります。退院して同じ寺院を訪れた時には、その家族はすでに出立っていました。チベットを旅行することでその家族と再会できるのではないかという淡い期待もありましたが。

チベット人の人間性は日本人やインド人とは違う「何か」があったのでしょうか。
退院後、帰国されて、チベット語を勉強や準備をされてからチベットへ行かれたのですか。

有元 チベット人のメンタリティはやはり仏教に支えられているところが多く、殺生や争いを好まない非常に優しい民族性だと思います。もちろんこれも一概に言えることではなく、後に訪れる東チベット地方のカムの男たちは荒々しい一面もあります。もっともその辺りは武先生もご存知だと思いますが。

退院後は旅を続ける体力もなく、また所持金も尽きかけていたため一度帰国することにしました。たまたま友人が大阪外語大学に在籍していたこともあり、そこのチベット語科をモグリで受講していました。同時にチベット関連の本を読みあさって情報を集めたり、貯金をしたりしてチベット行きの準備を着々と行っていました。

チベットはどのくらいの期間滞在されたのでしょうか。

有元 半年程度の滞在を四回。合計すると500日ぐらいになりますね。



500日!!長い期間出かけると日本の生活に戻れそうにないですね。
特に印象に残っていることを教えてください。

有元 楽しかった印象が記憶の大半を占めているのですが、やはりそれなりの苦労もありました。当時のチベットは多くの町が対外国人未開放地区だったため、撮影はもちろんのこと、滞在や移動も非合法でした。なので様々な町で公安員に捕まることになり、移動しては連れ戻されを繰り返し、どうしても目的地にたどり着くことができない。その時々の気持の焦りや憤りが特に印象に残っています。チベット人になりすまし、ヒッチハイクなどで移動していました。



1998年10月、東チベット北上(成都~西寧)の旅に同行させて頂いたときに僕は言葉が通じないながら、むき出しの自然の姿のなかにある人間の威厳、力強さに触れ、少し大袈裟かもしれませんが人間の魂の摩擦熱を体感しました。有元さんのチベット作品に写る、チベット人の美しさってどうやって生み出されるのでしょうか。抽象的な質問になってすみません。

有元 私の作品をそのように捉えていただいてとても嬉しいのですが、これといって特別な事はしていませんね。 一枚の写真を撮影する時に意識している事は、対象をよく観察するということです。ポートレートを撮っているので顔や目の表情も大切なのですが、それ以外にも手の仕草や衣類や装飾品、そして背景やそこにある光など、自分が感じた彼らの美しさを一枚の写真に閉じ込められるように努力しています。 それらの事は東京で写真を撮っている今も変わりませんね。

東京での作品の前に、写真集「西蔵より肖像」は、写真展をすることと写真集を出版することは違うと思うのですが有元さんにとって写真集「西蔵より肖像」を世に出された感触はいかがでしたか。

有元 写真展は自分には蓄積されてゆきますが、見る人にとっては一過性のものなので徐々に記憶からは薄れてゆきます。その反面写真集は所有していただいている限り、いつでも手に取って見てもらう事ができる。写真集「西藏(チベット)より肖像」を上梓してから10年以上が経ちますが、いまだに各方面から様々な反響をいただきます。出版していただいた母校ビジュアルアーツにはとても感謝しています。



写真集ができたことでチベットの撮影は一段落付けられて、次のテーマへ移られたのでしょうか。

有元 実を言うと写真集の前年、ニコンサロンで開催した写真展「西藏より肖像」の時にはチベットに撮影に行くという興味は尽きていて、次のテーマに着手していました。 それが太陽賞受賞、写真集出版という流れとなったので、最後にもう一度撮影に行かなければと思い立ちました。

そうだったんですね。2009年に写真展「Why Now Tibet」展で展示されたのは10年ぶりのチベット。
いかがでしたか。今後もチベットに行くプランはあるのでしょうか。

有元 青春時代の長い時間を過ごした土地なので、久々に訪れるとやはり懐かしい。
意図的にチベット訪問を遠ざけていた所が今まではあったので、2009年の再訪以来はそのわだかまりは溶けました。
今ものすごい勢いで近代化しているチベットを撮影して、変わるものと変わらないものを見届けたいという思いはあります。



チベット撮影が一段落し、東京での撮影になるのでしょうか。

有元 チベットの写真集発行前から居を東京に移していたので、そこでの撮影をスタートさせていました。チベットでは6×6のモノクロで撮影していましたが、東京に来てからはカメラを6×7に変えカラーフィルムで作品づくりを開始しました。



活動拠点を東京に移されたのは撮影のためでしょうか。
また、カメラ、フィルムを変えた理由を教えてください。

有元 作家活動を本格的に行うにはやはり東京で認められないとダメだ、という偏見がありました。カメラやフィルムを色々使ってみたいという考えを含めて、なんかもう若かったとしかいいようがない。青春の焦りみたいなものがありましたね。



ネガカラー、モノクローム、6×6、6×7、8×10。とさまざまなフォーマットで撮影されたのは?

有元 上京後、フリーのフォトグラファーとしての依頼仕事も行ってゆくわけですが、その際に一つのスタイルだけだとなかなかクライアントの要求にも応えられない。
様々な方法論を試しながら、自分の表現の幅を増やしていた時期ですね。まあ、言い方を変えれば、作品については少し迷いがあった時期なのかも知れません。



東京に拠点を移されてどのような撮影仕事をされていたのでしょうか。

有元 主に雑誌でのポートレート撮影をしていました。その他には映画の撮影現場でのスチール撮影などもしていましたが、特にこれといったこだわりもなく、依頼が来た仕事についてはほとんど全て受けていましたね。

2006年、現在のトーテムポール・ギャラリーの前身となる「ロータスルート・ギャラリー」を元田敬三さんと設立されましたが、自主運営ギャラリーを持とうと思った経緯を教えてください。

有元 元田氏と二人で、わりと気軽に、隠れ家的スペースが欲しいなぁと話し始めた所からスタートしました。それで物件を探し始めて色々内見しているとだんだんと欲が出てくる。もっと広い方がよいとか、1Fのスペースがよいとか。それで今の場所になりました。
運営についても始めからこうしようという事はあまりなくて、とりあえず自分の写真を壁に貼れればそれでいいや、という感じでの見切り発車でしたね。

意外と成り行きからだったんですね。新宿界隈に自主運営ギャラリーが多数ありますがその辺りの意識はなかったのでしょうか。

有元 新宿界隈にそのようなギャラリーが多い事は周知していましたが、僕自身にはあまりその意識はなかったですね。
むしろ地価などとの兼ね合いで今の場所に落ち着いた感じです。おそらくそのような落としどころも過去から続いてきた事でしょうが。

なるほど。ギャラリーを運営されることからariphotoシリーズがはじまったのでしょうか。

有元 そうですね。このariphotoというタイトルも初回の展示一回きりのつもりでした。気がつけば7年、20回以上も続いてしまいましたが、ギャラリー開始当初は全く意図していませんでした。



7年、20回以上の展示。ロングランですね。
この7年間は毎日のように新宿界隈を撮影地としてずうっと歩いてられるんですか。

有元 気がつけば時間だけが過ぎていたという。
他の仕事の無い日はほぼ毎日新宿に出かけて撮影しています。とはいってもカメラを持ってウロウロしているだけですが。実際、シャッターを押す回数は極めて少ないと思います。



有元さんが被写体に選ばれる基準みたいなものって何でしょうか。

有元 こればかりは上手く言葉で表現できないのですが、あえて言葉にするなら「群衆に溶け込まない人」でしょうか。
僕が被写体に選ぶ人は、実際街中でもかなり人目を惹いている人たちです。ただ多くの人はアプローチする方法や理由を持っていない。僕はカメラを持っているのでアプローチすることができるだけだと思っています。

7年続けてこられたなかで変化したことってありますか。

有元 テーマも撮影する場所も同一なので、展示毎の変化には自分自身でもあまり気付かない。ただ過去のプリントを確認してみると、緩慢ながらも変化している事に気付きます。そういった意味で過去のプリントを再編集する作業(ariphoto selection)は大切だと思っています。 それと一年ほど前から長年使用していたカメラを変えました。その行為は写真を変えたいという欲求のストレートな現れです。端から見て写真がそれほど変わらないとしても、自身の意識を変えるというか進化させてゆきたいという想いは強いです。



なるほど。グループ展は過去にも何度もされていますが、開催中(2012年6月1日~7月29日)の東京国立近代美術館での展示はいかがですか。また、美術館での展示が決まった経緯を教えてください。

有元 今回は展示方法やレイアウトなど、自身のギャラリーでの展示とほとんど変えていません。また作品に関しても以前展示した事のあるものばかりなので、何か新しいことをしている実感もありません。会場に常駐しているわけでもないのでお客さんの反応などもわからないですね。今回の展示が自分にとってどのような位置づけになるのか、それは展示が終わった後にじっくり考えたいです。それよりも今は八月に開催する次の展示「ariphoto2012 vol.3」のことで頭がいっぱいですね。

美術館での展示が決まったきっかけはキュレーターの増田さんの一存なわけですが、それ以前に増田さんにお会いした事はありませんでした。展示毎にお送りしていた沢山のDMや、献本した「ariphoto selection」などにしっかりと目を通していただいていたようです。



冊子の「ariphoto selection」は、ariphoto selection展の時に発行されるのでしょうか。
また、簡単なことではないと思いますが、写真集を発行される予定があったりするのでしょうか。


「ariphoto selection」 購入はこちらから → http://arimotoshinya.com/shop/

有元 ariphoto selectionに関しては同名の展示と合わせて発行しています。写真集についてですが、前にお話ししたように、同じ写真の発表手段とはいえ展示とは性質が異なってくる。ギャラリーでの活動と並行して出版も力を入れてゆきたい所ですが、現段階ではまだ模索中という感じですね。

今後も、新宿界隈を撮影と発表の拠点に繰り返し作品を構築されていくのでしょうか。
また、東京、新宿の魅力を教えてください。



有元 そうですね。写真展も写真集も全ては写真作品ありきだと思っているので、まずは写真を撮り続け、作品を蓄積してゆきたいですね。その後の展開はそれらの活動の後にしかついてこないと考えていますので。

東京、新宿の魅力はなんといってもその人の多さです。新宿駅の1日の乗降者数は約350万人でもちろん世界一です。その中に身を置くと、世界中のどこにもないここだけの光景が広がり、人の群れを眺めているだけでも思考は押し広がります。作品づくりにはこの上ない環境だと今は考えています。



「世界中のどこにもない、ここだけの光景」しびれます。
まだまだ、撮影は続いていかれるんですね。

それでは最後に、これから写真をはじめる学生に一言お願いします。

有元 写真を撮る事によって新しい世界と出会い続ける事。
新しい世界とは、もちろん遠いまだ見知らぬ土地や人との出会いでもありますが、ごく近くの身の回りの些細な出来事に対する再発見でもあります。
僕自身も日本全国の旅で、チベットへの旅で、そして東京での生活の中で、写真を通じて様々な出会いを繰り返してきました。
未知を恐れずに、まだ見ぬ新しい世界に果敢に足を踏み出していって欲しいと思います。

ありがとうございました。





有元伸也
1971年 大阪府生まれ
1994年 ビジュアルアーツ専門学校大阪卒業
1998年 第35回太陽賞受賞
2008年 Totem Pole Photo Galleryを設立。

個展
1994年 「我国より肖像」 ガーディアン・ガーデン・東京
1997年 「西藏より肖像」 銀座ニコンサロン・東京
1998年 「同展」 JICAギャラリー・大阪
1999年 「同展」 ビジュアルアーツギャラリー大阪・大阪
1999年 「TIBETAN WAY」 スタジオエビスフォトギャラリー・東京
2000年 「Portrait of Tibet」 Milk・東京
2002年 「真昼の蛾」 銀座ニコンサロン・東京 大阪ニコンサロン・大阪
2004年 「夜明けまえ」 photo gallery kyushu 銀・福岡
2006年 「ariphoto2006」 vol.1-vol.4 Lotus Root Gallery・東京
2006年 「流れ星公園」 Lotus Root Gallery・東京
2007年 「ariphoto2007」 vol.1-vol.3 Lotus Root Gallery・東京
2008年 「ariphoto2008」 vol.1-vol.4 Totem Pole Photo Gallery・東京
2008年 「calcutta - kathmandu 1994」 Totem Pole Photo Gallery ・東京
2008年 「ariphoto2008 / fantastic metropolis」 ビジュアルアーツギャラリー大阪・大阪
2009年 「ariphoto2009」 vol.1-vol.3 Totem Pole Photo Gallery・東京
2010年 「ariphoto2010」 vol.1-vol.2 Totem Pole Photo Gallery・東京
2010年 「ariphoto selection vol.1」 Totem Pole Photo Gallery・東京
2010年 「WHY NOW TIBET」 ビジュアルアーツギャラリー大阪・大阪
2011年 「ariphoto2011」 vol.1-vol.2 Totem Pole Photo Gallery ・東京
2011年 「ariphoto selection vol.2」 Totem Pole Photo Gallery・東京
2012年 「ariphoto2012」 vol.1-vol.2 Totem Pole Photo Gallery ・東京

グループ展
2001年 「RUSH」 リトルモアギャラリー・東京
2003年  平遥国際写真フェスティバル・平遥(中国)
2003年  河南国際写真フェスティバル・河南(韓国)
2004年  ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎・宮崎
2006年 「あの写真をもう一度」 Lotus Root Gallery・東京
2008年 「歌舞伎町」 nagune・東京
2009年 「ビジュアルアーツギャラリー100回記念展」 ビジュアルアーツギャラリー大阪・大阪
2009年 「風の旅人~今、ここにある旅」 コニカミノルタプラザ・東京
2009年 「OPERA」 TIOUS×TPPG Totem Pole Photo Gallery・東京
2010年 「OPERA IN KYOTO」 shin-bi・京都
2010年 「Shinjuku×TPPG」 Totem Pole Photo Gallery・東京
2011年 「2011×TPPG」 Totem Pole Photo Gallery・東京
2011年 「The Historic Future 5.5 青梅」 Totem Pole Photo Gallery・東京
2011年 「-Eternity at a Moment- 写真家60人の瞬間と永遠 」 3331 Arts Chiyoda・東京
2011年 「窓の表面 2011」 Gakei Gimlet・京都
2011年 「Carte Blanche in Asia」 Gallery Carte Blanche・San Francisco (USA)
2012年 「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」 東京国立近代美術館・東京
2012年 「This IZU photo」 Totem Pole Photo Gallery・東京

出版
「西藏より肖像」 visual arts・1999年
「Rush」 リトルモア(共著)・2001年
「ariphoto selection vol.1」 Totem Pole Photo Gallery・2010年
「ariphoto selection vol.2」 Totem Pole Photo Gallery・2011年
「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」 東京国立近代美術館・2012年